いつの間にか芸能界に足を踏み込むようになりソフトな(?)私は
         二つの名前を所有したまま過ごしている。
         そのように15年親しんで過ごしているので、現在私は本名「イ・サンウォン」
         という名前がより見慣れないように感じるようになってきた。
         私の本名を知っていて、そのように(本名で)呼ぶ人は何人もいない、
         私の一部、私はイ・ヒョヌとして知られているからである。 

         イメージが広まって生きる職業の特性上、イ・ヒョヌという名前は
         実は、マスコミによってつくられた面も少なくない。
         いつからか私は「クールなシングル」のイメージで固定されるようになってしまった。
         その化石化されたイメージが不便に感じられる時もある。
         それだけではなく、ある調査では私が「結婚したい男」の1位にあげられたりした。
         私としては聞きよい言葉ではあるが、この言葉を石のように固く信じるかも
         しれない人々には少々申し訳なく思ったりする。

         マスコミを通じて紹介された私の姿とは違って、私は本当は夫としての資格
         というものを考えると、そのような良い評価を貰うことができない人間である。
         まず、活動時間は不規則である。
         多くの種類のことを同時に進行するので、いつも慌しく動かなければならなく、
         音楽をする人間がそうであるように感情の起伏もひどい方だ。
         そして、即興曲(を作ることが?)多い。
         そんな私を理解してくれ、暖かく包んでくれ、激励できる女性が
         どれくらいいるだろうか。

         時折「料理が上手な男」として知られ、料理本まで出したが、
         真実を打ち明けると料理はそんなにできない方である、
         独身生活をしてみると何かを作って食べるというのはそれほど
         わずらわしいことではない。
         食べることに関しても口に合うものだけ選んで食べる偏食型の人間は、
         花婿候補としての評価を貰うのは易しいことではないようだ。
                  
         私が料理が上手な男として知られるようになったのは、
         ソ・セウォン氏が「ソ・セウォンショー」を進行しながら、いわゆる
         「個人技」ブームを引き起こしたことに関連が深い。
         その流れに従って、各種娯楽番組が個人技を主とする流れにのり、
         私にも似たような要請が退屈しないように(?)入ってきた。
         しかし、私はそんな放送の馬鹿騒ぎの騒乱の場にふさわしくなかった。
         放送に出て、ひどく駄目になった同僚芸能人たちを見て、
         気の毒だとまで思った。

         「私は個人技はしない。」これが私なりの原則だった。
         そうして偶然に個人技の代わりにするようになったものが料理だった。
         そのときが1997年頃であったことと記憶している。
         ところで、それが当時としては一種のセンセーションとして
         受け入れられたようだ。
         そのときから私は「料理が上手な男」という新しいイメージに
         閉じ込められるようになった。
         そうして多分人々は、私が家庭的で温和な夫タイプだと思うようになり、
         同時に「結婚したい男」という幻想を持つようになったのかもしれない。
         このような過程を見ながら、私は一人の人間がどのような媒体に基づき
         人々の口(興味?)に合う包装をされるかを知ることができた。

         しかし今はそんなイメージたちも私の一部であると、楽に受け入れられる
         ようになった。
         もしかしたら私の中に本当にそんな一面が隠されているかもしれないからだ。
         「イ・ヒョヌ」という名前は歌手という職業が私にプレゼントしてくれた
         また他の私で、私はその贈り物ととても仲良く暮らしている。

         人々にアピールする私のもう一つのトレードマーク‘クール’であるイメージも
         やはりある一瞬にして形成されたのでなく、 私という人物の内面が投影されながら
         自然に表出されたものであると信じている。
         私が通ってきた成長背景や環境の影響を受けて、徐々に私の内面に染み入ったものを
         人々が見抜いたのだと思う。

         従って私の中には二人の「私」が仲良く共存している。
         サンウォンの中にヒョヌがいて、ヒョヌの中にサンウォンが入っている、
         ということだろうか。
         このように二つの名前を持って暮らすようになって、ほとんど15年が
         経とうとしている。

         私が世の中に生まれてから、40年が経った。
         私はそんなに特別優秀な人間ではないけれども、この辺で私の人生を
         一度ぐらい整理してみたいという考えが生じた。
         今まで媒体によって露出したイメージではなく、人間的な私の姿で
         人々と交流したいという欲求が、時間が経つにつれてどんどん募ってきた。










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