「後輩歌手たちはあまりにも可哀想だ」
歌手イ・ヒョヌ、「歌だけで富と名誉を夢見る時代は終わった」

2004.08.15(日)

「放送と新聞を通じて皆さんが見る私の姿を完全に “そうではない”と否定することはできませんね。
しかし大衆が願う方式で ‘率先半分要求半分’ 包装されて来たことは事実で、今まで拡大再生産になって来ました。 幸いなことは良い姿に包装されたということです」
去る10日午後 5時 30分汝矣島のあるカフェーで歌手イ・ヒョヌ(38)に会った。
午後2時から4時までSBSの社屋でパワーFM‘イ・ヒョヌのミュージックライブ’ を終えて、約束時間30分前にあらかじめ到着し、インタビュー準備をしていた。
常にTVで見ている、こぎれいで淑やかな姿そのままだった。

「TVで見ている姿そのままですね」というあいさつに彼からは 「メディアでとても淑やかでこぎれいな姿で表現してされていて負担である」という返事が返って来る。
「それなら今日はちょっと他の姿を見せてください」と質問を投げると 「ここでストリップショーでもしましょうか?」と言いながらヌングチンダ。
「芸能部記者ではなくいので、よく分からない部分があっても了解してください」という頼みにも 「それではわが国の社会問題話します」と言いながら椅子を上げて座る。
芸能人イ・ヒョヌではなく、 人間イ・ヒョヌをのぞき見るためのインタビューはこのように良い感じで始まった。
かなり低いが真摯な声、質問一つに自分の考えを盛って話し始めた彼とのインタビューは1時間30分間続いた。


「人々がどうして私だけを憎むのかと、挫折した時代もあった」

- メディアに映される姿が自分の本当の姿か?
芸能人たちは本能のように自分を包装する方法も分かって、視聴者たちが願う姿は分からないのか。


放送する時や歌を歌う時には、飾り立てた姿に包装しようと思った事はない。
1,2ヶ月の新人でもなくて、10余年の間あやまちをしたことも多いがメディアや大衆が願い、次第に私のイメージを包装して来た。
そんなイメージが固着化されて拡大再生産されながら、今の私の姿でこの地位を得てしまった。
まるで完壁主義者のように描かれたがそんな人がどこにいるのか。
私も欠点が多い人間だ。


- 黒ジャケットを着てムースで精一杯しゃれて出て “夢”を歌った時代を思うと随分変わった。
魅力的な 30代にイメージ変身に成功したのではないか。
特別な努力はありましたか?


1991年“夢”を歌う時や、1997年“別れた翌日”を歌う時や 自分はあまり変わったのではない。
歳月の重みを避けることはできないから、ちょっと老けたと言おうか。
5〜6年が経ったから、喋り方や姿は変わったはずだ。


-最近の近況を教えてください。

SBSのラジオミュージックライブは進行していて、 ドラマ“結婚したい女”が終わった。
キム・ソナさんと撮影した映画“Sダイアリー”も 10月 20日頃封切りする予定だ。
もちろん 9集アルバムの活動もしている。
MBCの水曜芸術舞台の進行をしているが、それは 7年目の今から見ると仕事というよりは “日常”だ。
衣類事業体は 3年になっていつのまにか地位を得た。


-1991年にソ・テジとともにデビューしながら、常に 1位を奪われて 2位にとどまっていた。
当時、歌謡順位プログラムの一位というのは大きなものではなかったのか。
1位のためならば涙をこんこんとこぼした時代ではないのか。


私にはテジの幸せが分からないので、私がもっと幸せではないとは言いにくい。
同じ時期に活動したりしたが、ライバル意識みたいなことはなかった。
私自身は、歌手として新しい環境と生活に適応するために忙しくて牽制する余裕もなかった。
1位になれなかったことが悔しいのであれば 10位は死ななければならないのか。
私そんなに欲張る人間ではない。
2位はどこなのか。
すべての人々が私の歌のすべてを知ってくれて、 1集を出すやいなや多くの愛を受けて、 予想よりより多く愛されたが、それがどこなのか。
もっと欲張ってはいけない。



「音楽は人々の疲れた魂をなぐさめてくれることができる」

-今度発表した9集アルバム“Sinful seduction(危ない誘惑)” の ‘今日は行くな’ ‘雨が降ります’ ‘When You Touch Me’ などは 以前のアルバムに比べて切なさよりはずっと率直で直説的だ。
年を取ったからか。

幼い時はメッセージを盛ることが格好よいと思ったこともあったし、 刺激的なメッセージが良いと思ったこともあった。
また哀切な歌詞が大衆的だろうという薄っぺらな計算もした。
そうではないようだ。
私がしたい話を率直にするのが良い歌詞のようだという気がした。
一日中ニュースで騷ぎ立てるのに、社会問題が分からない人々がいるか。
音楽でさえそうすることで、私たちの社会が変わるのか。
また歌詞に社会問題を盛ると意識ある歌手と思われる時代でもない。
音楽は人々の疲れた魂をなぐさめるものでなくてはならないと思う。


-デビュー曲 ‘夢’はダンス曲で、また戻ってきて歌った ‘別れた翌日’はバラードだ。
ロックもしたりした.
音楽的な志向は何か。 したい音楽は何か。

呼称からして間違った。
バラード歌手という言葉には当たらない。
ロックにもバラードはあって、R&Bにもバラードはある。
どんな音楽にもバラードはある。
そうだからロッカーもバラードを歌うことができるし、ロックにもダンスをすることができるダンス音楽があり得る。
ダンス歌手がバラードを歌う, バラード歌手がロックをする、 それは表現が間違っているようだ。 1集からすべてのジャンルの音楽をすべてして来た。
初めの姿をそのままにしているのだが、外と知られた曲が違っているとジャンル的に変わっていると受け入れられるようだ。
我が国の人々はカテゴリー分けが大好きだ。



-韓国大衆音楽が類例ない不況だ。
水曜芸術舞台を一緒に進行するキム・クァンミンさんが 「不況に陷ったことは放送社が歌手をタレントに作りあげてしまって 特技自慢にだけ関心を持つようにして、ダンスやバラード音楽のみをつけたから」 という指摘をした事には一理ある指摘みたいだ。


歌手たちが歌わずにギャグでもするということはものすごく誤った見方だ。
もちろん歌手たちがそうすることは当たるが問題は放送局という ‘マンモス’ のような巨大な権力が、半分強制的にそうにさせているのだ。
それほど出なければ音楽を振ってくれない.
何億らのためアルバムは作っておいたし、自分の音楽は知らせなければならない状況で選択の余地がないのだ。
ただ歌手たち自身が ‘自分の墓穴をほっている’と言うのを認識することができないというのだ。

昔はアルバム市場や良かったんだろう。
今は携帯電話着信音などアルバム関連産業は類例ない好況を享受しているが、 コンテンツを提供する歌手たちはすべて乞食だ。
LG建物の前で髪を切ってデモするのがショーではない。
絶体絶命の崩壊危機だ。
いやもう崩壊した。
あまり切迫した状況だから、光民異形が何の意味にした馬なのかは卵だが “歌手子たちあれが何は体統ちょっと守るの” そのように言う状況ではない。
それほど悪口を言う人々が作ったのだ。
インターネットでただでダウンしてした人々が歌手たちをそうにさせたのではないか。
自分たちがそうしておいて、どうして悪口を言うか。
アルバムを買ってくれていたら、それでは歌手たちが言うものか。
私はこのごろ後輩歌手たちを見る時、とても可哀想だ。
私が活動した時代には 100万枚越す歌手たちがたくさんいたが、今は 10万枚を越すのが大変だ。


インタビュー中ずっと変化がなかったイ・ヒョヌの低い声が少し高くなった。
きちんとテーブルの上にあげられていた両手も忙しくなった。
彼は “いくら音楽的な才能がすぐれても音楽ばかりしては未来が保障されない”と “一番悲しいのは夢を見られないということ”と言った。
“音楽的に成功すれば富と名誉が従わなければならないのに、そんな時代はもう来ないようだ。とても悲しい。”



-どうすればアルバム産業がまた好況期になることができるのか?

不可能だ. とても遠い所まで来てしまった。
人々がお金を出して音楽を買うことを不慣れになってしまった。
パラダイムが変わっているのにどのようにするか。
いくら話しても変わらないということが分かっている。
それが正しいのではないと主張しても絶対多数が注いでくれなければ無抵抗になるのだ。
いつまで私のお金をかけてただで提供する事はあるか。
人々が引越しして餠を配るが 1年中ただで餠を与える数はあるか。
CDという類型の形態でアルバムを出すことは、 LPが終わった時代のように最後に駆け付けているようだ。
CDに加工するのにおびただしいお金がかかるのに、それを取り入れる方法がない。
他の形態を模索しなければならないようだ。



-今度発売した 9集アルバムの反応はどうなのか?

数十万枚を売ったわけではないが他の歌手たちに比べればファインプレーした方だ。



「ドラマによって歌も性格も明るくなった」



-イ・ヒョヌさんを見ると我が国の歌手生存方式の標本ではないかと言う気がする。
結局、歌手活動だけでは適正な収益を生み出すことができないから演技と映画など 活動領域を広げることではないのか。


お金を儲けようとと思ったら他の方法もいくらでもある。
私は私が楽しむ事をしながらお金を儲けるほうが良いでしょう、 無理やりにお金を溜めるためにしたくはない。
本当はやりたくないのに、これはお金になるからという観点でみることは絶対ない。
多くの人々と一緒にドラマを経験しながら音楽的に得たことがとても多い。
‘シンガーソングライター’の場合一人でするさびしい作業なので一本気数になることができる.
しかしドラマは多くの人する作業だから心が開かれて, 音楽的にもっと大衆性を持つようになった.
そんな作業環境が性格にも多くの影響を及ぼしたし、明るくなった理由だ。


-屋根部屋のネコ、結婚したい女の2本のドラマを通じて演技に対する評価は違っている。

演技に対する評価が良いはずがあるのか。
私が急にチェ・ミンシクさんになることができるか。
演技の指導を受けたこともなくて、これから受けるつもりもない。
おろそかに演技者を真似をすることも笑わせるではないか。
イ・ヒョヌの色と香りで少しはぎこちないが ‘イ・ヒョヌ印’の演技をする自信はある。
私にチェ・ミンシクの演技がほしかったのか。(笑)
人々の評価にあまりこだわらない。
私が楽しまなければならないのではないか。


-芸能人として評価を無視することはあるのか。

インターネットで悪口を言う一部人々はこの世の中で村八分受けたさびしい人々だ。(笑)
暗い所で男の悪口を言うこと位しかできない位置にいる人々だと思う。
それによって嬉しくてオルガズムを感じたら私は大丈夫だ。


- 一緒に演技した俳優の中で、息が合った俳優といえば誰を挙げるか。

同じ設定で延期をしてみたら比較が可能であろうが、状況は違うので比べることは難しい。
敢えて比べたら、私を一番没頭するようにしてくれたのはチョン・ダビンだった。
その人の演技があまりに上手だから、たまに実際の状況と間違えたことがある。
哀切な場面が屋上部屋で一番多かったので、そう思うようだ。



「政治的色を現わすのが、危ない事であると分かっている」

多くの愛を受けている。
歌手として俳優として、事業家として成功街道を走っている。
今まで受けた愛を返す時期になったと思わないか。

何もない状態であまりにも多い贈り物をもらったし既得権を享受している。
私が憎悪して疎ましがった既得権がもう私の生活の一部になった。
愛を返してあげることができる方法で、環境保護に一部分寄与したい。
我が国のリーダーたちは環境哲学が犬のくそだとって思っている。
未来は環境だ。いやもう来ている。
ただ暑い気候のため、去年フランスで 1万5,000人の独居老人が死亡したと言う。
政策を去って私たちに災いになることができる状況だ。

一昨日 ‘野生動物保護法’が通過されたということを見た。
野生動物密鮮しても 100〜200万ウォン罰金、内告、拘留で何日暮しても、 1億ウォンに売れるので、密鮮師たちにはそんな価値があることではないか。
続けなさいという話に異同ではない。
環境問題に対してそっぽを向くのか, 無関心なのかが分からない。
しかし分かる顔が出て ‘しゃべれば’ 関心がなかった人々も一度振り返るのではないかと思う気がする。


-市民団体緑の連合広報のせりふであることは分かったが、環境問題への関心がこんなに多いとは思わなかった。
どんなきっかけで弘報大使活動をするようになったのか。

山羊に関心があった。
2002年頃、緑の連合に直接電話して山羊位置追跡プロジェクトがあれば私も仲間に入れて欲しいと言って要請した。
その後一緒に、太白山脈で山羊棲息地を見て来た事がある。
それが縁で、弘報大使に委嘱された。


-最近関心を持っている社会問題は何か。

断然イラク派兵問題だ。
キム・ソニルさんの斬首事件は国家的に恥ずかしい事だ。
それに責任を負う人がいるのか。
外交部も間違ったし、強硬発言した政府もとても下手だったと思える。
アメリカが町内大将であることは分かるのに、 血判書を書いてまで “兄さんをいじめる人はすべて殺してしまって” そんな必要があるのか。
国民の命を担保にして、過剰忠誠する政府を信じられない。
また、イラク武将団体をテロリストと言うが彼ら自身の生を、方式を守ろうと思うのが独立軍であるかも知れない。
私たちがどうやって彼らをテロリストだと規定するか。
アメリカがそれをそう呼ぶのだ。
だれが見ても道理に合わないのだ。
国益、国益のために誰を慈しんでいるのかが分からない。


-幼い時代に家族と一緒にアメリカに移民したのではないか。
大学までそこで終えたし英語もお上手ではないか。
アメリカの受恵を受けながら育ったと思うこともできるのに…

韓国に住んでいて軍事独裁を経験したからと言って軍事独裁を擁護するか?しないのではないのか。
マイケルムーア監督がアメリカとブッシュ大統領を責める映画 ‘華氏 911’を作った。
マイケルムーアもアメリカ人だ。
ラジオを進行しながら意見を話したりすることで、何回か警告を受けたりした。
しかし一般人に比べて、少しでも多い情報を持っている人が言わなかったら、そんな人間は ‘悪者’だ。


-芸能人の中でも、積極的に政治的立場を明らかにして大衆活動をする人々も多い。
そんな活動をしてみたいという考えはないのか。

何回か参加した事はあるが、人々の前で先導するのが慣れない。
それなので、放送という媒体を通じてするのだ。
また、その人々に真正性があるのか疑わしかったりする。
自分のイメージメイキングの手段で活用する、一部芸能人たちがいるからだ。
名前を取り上げにくいが普段行動と話を聞いてみた時、絶対そんな人ではないのに柳寛順(ユ・クァンソン)さんのように出る人がいる。
見えない所でしても良い。


-お金はたくさん儲けたのか。金持ちか。

多いという基準が何やらは分からないが、たくさん儲けた。
またたくさん書いて、詐欺にもたくさんあった。
独身生活をしているので、人が懐かしくて情をすぐ与えるスタイルだ。
それで何回か詐欺にあった。


-独身生活により生じた事であるのなら、相棒を求めなければならない時ではないか。

計画したとおりになっていたら、今一人でいる人はいないだろう。
男女関係というのはお互いに心が ‘同じ’にならなければならないのだ。
この位なら付き合って見るに値する。このようなことではないようだ。
それであやまちをした友達もたくさん見た。
いまだに愛を信じたくて、愛がたびたび来ないということが分かる年にもかかわらず希望を捨てていないことは, 愛がどんな感じなのか分かるからだ。
それよりできなかった感じで相手に対することができないようだ。
私はお前をあんまり愛していないのに、一度始めて見よう、 そんなに率直に言って始めたら分からない(笑)。相手にどんなに失礼なのか。


大衆はイ・ヒョヌのイメージを自分たちが願うように設定した。
またイ・ヒョヌ自身も 10余年の経験を通じて女性たちに自分のイメージが消費する方式をもう把握しているようだった。
しかし危機がなかったわけではない。
去る2月某スポーツ新聞がイ・ヒョヌが酒に酔って路頭でまどろんでいる途中 警察に連れられ交番へ行った後、休んでから帰ったと報道した後、 “スポーツ誌がごみのようなものである(?)と知っていたがこれほどであるとは分からなかった” と発言した後一部スポーツ新聞には、それ以上イ・ヒョヌという名前三字は捜しにくくなった。
彼は一人で言論に相対するということが、手に負えない事であることが分かった側だが、 全然屈しなくて、アルバム市場不況に対して “パラダイム変化なら受け入れなくてはならない”と言う。
本当に余裕があって堂堂としている。
インタビューは午後7時を過ぎて終わった。
彼は親しみが厚いカルト三羽鳥コンサートのゲストに招待された、と大学路で足を急いで向けた。







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